おわりに

歓声(かんせい)()く広島市民球場、人が行き交う本通り商店街や紙屋町(かみやちょう)地下街(ちかがい)、デパートが立ち並ぶ八丁堀(はっちょうぼり)、緑豊かな平和大通り。現在の広島から63年前の惨状(さんじょう)復興(ふっこう)までの道のりを想像することは容易(ようい)ではありません。
被爆(ひばく)都市ヒロシマを知る手掛かりは、被爆者(ひばくしゃ)や遺族の声、被爆(ひばく)傷跡(きずあと)を残す原爆(げんばく)ドーム、数ある慰霊(いれい)()、平和記念資料館や原爆(げんばく)死没(しぼつ)(しゃ)追悼(ついとう)平和(へいわ)祈念(きねん)(かん)にあります。 そして、もう一つ、復興(ふっこう)()げたヒロシマにあって、静かにたたずむ戦前の建物や橋、樹木があることに思いを(めぐ)らせなくてはなりません。
わたしたちには、目に見えないことでも強く深く感じ取る能力があります。そこで何が起き、その後をどう歩んできたか被爆(ひばく)建造(けんぞう)(ぶつ)が語り掛けるものに耳を澄ませてみてください。
被爆(ひばく)建造(けんぞう)(ぶつ)を訪ねてみませんか。
 
ご協力いただいた機関(敬称略、順不同)
株式会社アンデルセン、広島県縮景園、広島電鉄株式会社、NHK広島放送局
さらに写真提供者をはじめ多くの方々、機関のご協力をいただきました。