世界共通の遺産(いさん
原爆(げんばく)ドーム  被爆(ひばく)から50年が経ち、原爆(げんばく)ドームは、1995(平成7)年に国の史跡(しせき)に指定された後、1996(平成8)年に世界遺産(いさん)一覧表への登録が決まりました。原爆(げんばく)ドームを保存・継承(けいしょう)していこうとする多くの人々に支えられ、人類共通の遺産(いさん)となったのです。

■所在地 中区大手町一丁目10番
■爆心地からの距離 160メートル
■被爆時の名称 広島県産業奨励館
■構造・階数 レンガ造り3階建て
■竣工時期 1915(大正4)年
■竣工時の名称 広島県物産陳列館
■現況 世界遺産。原爆ドーム

元安橋(もとやすばし)西詰めから見た広島県産業(さんぎょう)奨励(しょうれい)(かん)。1933(昭和8)年。奥野正男撮影/奥野勝彦提供
 日清(にっしん)戦争、日露(にちろ)戦争を経て、軍需(ぐんじゅ)に結びついた広島の経済は活発になっていました。1915(大正4)年に開設された「広島県物産(ぶっさん)陳列(ちんれつ)(かん)」は、チェコの建築家ヤン・レツルの設計によるもので、1921(大正10)年に「広島県立商品陳列(ちんれつ)(しょ)」、さらに1933(昭和8)年には「広島県産業(さんぎょう)奨励(しょうれい)(かん)」と名を変えました。広島県内や他府県の物産(ぶっさん)を紹介するほか、商工業振興のための事業を行い、また、博物館・美術館としての役割も果たす文化の拠点(きょてん)でもありました。しかし、戦争の激化(げきか)により、産業の奨励(しょうれい)に重点が置かれるようになりました。1944(昭和19)年には館業務(ぎょうむ)廃止(はいし)され、建物は、内務省(ないむしょう)中国四国土木出張所や広島県地方木材株式会社など官公庁(かんこうちょう)統制(とうせい)組合(くみあい)の事務所が使用することになりました。
 爆心地(ばくしんち)にごく近い広島県産業(さんぎょう)奨励(しょうれい)(かん)は、原爆(げんばく)投下(とうか)により大破(たいは)全焼(ぜんしょう)し、建物にいた人はすべて即死(そくし)しました。爆風(ばくふう)がほぼ真上(まうえ)から到達(とうたつ)したため、倒壊(とうかい)(まぬか)れ、ドームの鉄枠(てつわく)とともに象徴(しょうちょう)(てき)な姿を残しました。

被爆(ひばく)から2週間後の広島県産業(さんぎょう)奨励(しょうれい)(かん)。1945(昭和20)年8月20日。尾木正己撮影/広島原爆被災撮影者の会提供

原爆(げんばく)ドーム第1回保存工事
広島市は、1967(昭和42)年の4月から8月にかけて、原爆(げんばく)ドームの第1回目の保存工事を行いました。れんが(かべ)の内部に強力な接着(せっちゃく)(ざい)注入(ちゅうにゅう)(かべ)全体を固めて補強(ほきょう)し、要所(ようしょ)を内側から鉄骨(てっこつ)で支えました
1967(昭和42)年7月。広島市公文書館提供

世界中の人が訪れる。2008(平成20)年5月現在の原爆(げんばく)ドーム