支援(しえん)の広がり

広島(いこ)いの家

米国人作家アイラ・モリス氏、スウェーデン人作家エディタ・モリス氏夫妻(しふさい)提案(ていあん)によって開所した「広島(いこ)いの家」は、市内の病院へ精密(せいみつ)検査(けんさ)治療(ちりょう)(おとず)れる被爆者(ひばくしゃ)宿泊(しゅくはく)、またレクリエーションの施設(しせつ)として多くの人々に利用された。


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開所式に出席したモリス夫妻(ふさい) 1957年(昭和32年)5月2日 宇品(うじな) 当初、(いこ)いの家の運営(うんえい)は、夫妻(ふさい)個人的(こじんてき)支援(しえん)(たよ)っていたが、やがてニューヨークに「ヒロシマ・ハウス財団(ざいだん)」が設立(せつりつ)され、援助(えんじょ)の輪が広がっていった。
 
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「広島(いこ)いの家」の開所 宇品(うじな) (いこ)いの家は、木造(もくぞう)2階建て、京橋川沿(かわぞ)いの(なが)めの良い場所に位置し、内部は、宿泊(しゅくはく)やレクリエーションのために大広間などが(もう)けられていた。

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「広島(いこ)いの家」リーフレット 「広島(いこ)いの家」の運営(うんえい)資金(しきん)募集(ぼしゅう)するために作成されたリーフレット。海外に配布(はいふ)されたもので、(いこ)いの家の概要(がいよう)などが説明され、募金(ぼきん)()びかけられている。
 
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「広島(いこ)いの家」表札 「広島(いこ)いの家」の玄関(げんかん)(かか)げられていたもの。
 
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レクリエーション
雑煮(ぞうに)を年の数だけ食べる会」
1959年(昭和34年)1月3日 宇品(うじな) (いこ)いの家では、映画(えいが)やレコード鑑賞(かんしょう)などや松茸(まつたけ)()りなどさまざまなレクリエーションが(もよお)された。
支援(しえん)軌跡(きせき)
江波皿山(えばさらやま)(中区江波二本松(えばにほんまつ)1丁目)の南側(みなみがわ)斜面(しゃめん)沿()って「広島の家」の計画で建てられた1軒(1けん)木造(もくぞう)家屋(かおく)が残されている。この家屋は、1951年(昭和26年)に集会所として建てられたもので、現在(げんざい)は「シュモー会館」として地元の婦人会(ふじんかい)や子ども会など地域(ちいき)の交流の場として使用されている。