広島へ()せられた様々な援助(えんじょ)

海外移民(かいがいいみん)からの援助(えんじょ)

 広島県は全国有数の移民県(いみんけん)で、故郷(こきょう)惨状(さんじょう)を知ったハワイや北米、南米などの広島県人会を中心に援助(えんじょ)の手が()()べられた。
 ()せられた義援金(ぎえんきん)により、生活に苦しむ人々への配分や母子寮(ぼしりょう)、養老院などの福祉施設(ふくししせつ)、図書館などの文化施設(ぶんかしせつ)建設(けんせつ)()てられた。


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ハワイから(とど)いた物資(ぶっし) 1946年(昭和21年) 安佐郡(あさぐん)川内村(かわうちむら) 広島県出身者が多く移民(いみん)したハワイからは、多くの物資(ぶっし)義援金(ぎえんきん)()せられた。現地(げんち)戦災救済会(せんさいきゅうさいかい)による組織的(そしきてき)募金活動(ぼきんかつどう)も行われた。

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義援金(ぎえんきん)建設(けんせつ)された喜生園 1949年(昭和24年)に(とど)けられたハワイの戦災(せんさい)救済会(きゅうさいかい)からの義援金(ぎえんきん)は、生活が苦しい人々へ配分されたほか、養老施設(ようろうしせつ)「喜生園」や市営母子寮(しえいぼしりょう)建設費(けんせつひ)などに()てられた。

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広島市児童図書館の開館 1952年(昭和27年)12月  基町(もとまち) 米国カリフォルニア州在住(ざいじゅう)の広島県人会からは、400万円の寄付金(きふきん)(とど)けられた。寄付金(きふきん)は、児童図書館の建設費(けんせつひ)()てられ、1952年(昭和27年)、基町(もとまち)に開館した。

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児童公園の「(さる)が島」と児童図書館 1953年(昭和28年) 基町(もとまち) 基町(もとまち)旧軍用地(きゅうぐんようち)には住宅(じゅうたく)建設(けんせつ)されたほか、中央公園としてバレーボールコートやテニスコート、児童図書館などさまざまな施設(しせつ)整備(せいび)された。
明りをともした広島市児童図書館 1953年(昭和28年) (ごろ) 基町(もとまち) 設計(せっけい)は、丹下健三(たんげけんぞう)氏。円形、周囲はガラス()りという特徴的(とくちょうてき)な建物。開館当初は約2,300(さつ)蔵書(ぞうしょ)があった。
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