広島へ()せられた様々な援助(えんじょ)

(とど)けられる救援物資(きゅうえんぶっし)

 戦後、日系人(にっけいじん)の働きかけもあり、米国の民間(みんかん)団体(だんたい)を中心にさまざまな物資(ぶっし)が日本に送られるようになった。その代表的な組織(そしき)としてララ(LARA)、ケア(CARE)が挙げられる。
 広島にも多くの物資(ぶっし)(とど)けられ、()(あと)に住む市民にとって大きな助けとなった。


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ララからの支援物資(しえんぶっし) 食糧(しょくりょう)・衣類・医薬品などさまざまな物資(ぶっし)が送付され、ヤギ、乳牛(にゅうぎゅう)なども(とど)けられた。物資(ぶっし)は、ララ救援物資(きゅうえんぶっし)中央委員会(ちゅうおういいんかい)厚生省(こうせいしょう)連携(れんけい)し、()()てや配分を取り決め、各都道府県へ送付された。
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ララ救援物資(きゅうえんぶっし)受払簿(うけはらいぼ) 1948年(昭和23年)7月 本川小学校に配給されたララ救援物資(きゅうえんぶっし)について記されている。()しうどんと砂糖(さとう)の配給について書かれ、配給された量や人数が表にまとめられている。

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ララ物資(ぶっし)を受け取って喜ぶ子どもたち 1947年(昭和22年)ごろ 広島は、東京や大阪(おおさか)の大都市と共に早急な配給を必要とする地域(ちいき)と考えられ、1946年(昭和21年)のララによる活動の始まりから援助(えんじょ)を受けた。

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郵便局(ゆうびんきょく)での()(わた) ケア・パッケージの宛先(あてさき)は、海外の親類などが、直接(ちょくせつ)個人(こじん)()てたものと、受取人を指定していないものがあった。受取人が指定されたものは、往復(おうふく)はがきで所在(しょざい)確認(かくにん)し、主に郵便(ゆうびん)小包(こづつみ)で送付された。
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CARE(ケア)による支援(しえん) ケアによる援助(えんじょ)の方法は、ケア・パッケージと()ばれる小包を送付することが中心だった。パッケージは、食糧(しょくりょう)・衣類・寝具類(しんぐるい)など物資(ぶっし)の種類別に分けられ送付された。

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ケア・パッケージの箱と
送付された物資(ぶっし)(複製(ふくせい))
箱は、米国からドイツへ送付されたもの。物資(ぶっし)食糧(しょくりょう)や生活必需品(ひつじゅひん)のほか、農具や工具など被災者(ひさいしゃ)が生活を立て直すための道具も送られた。