廃虚(はいきょ)での救援活動(きゅうえんかつどう)
被爆(ひばく)前の救援体制(きゅうえんたいせい)は、原爆(げんばく)のすさまじい破壊力(はかいりょく)により一瞬(いっしゅん)にして崩壊(ほうかい)した。 被爆(ひばく)直後から、陸軍(りくぐん)船舶(せんぱく)司令部所属部隊(しょぞくぶたい)(「暁(あかつき)」部隊)が中心となり、生き残った医師(いし)たちや市の周辺部の地域(ちいき)からの救護班(きゅうごはん)などが救援活動(きゅうえんかつどう)にあたった。しかし、医薬品や包帯などの衛生材料(えいせいざいりょう)は不足し、多くの人が亡(な)くなった。 8月末には、このような悲惨(ひさん)な状況(じょうきょう)が赤十字(せきじゅうじ)国際(こくさい)委員会(いいんかい)の駐日(ちゅうにち)主席(しゅせき)代表(だいひょう)のマルセル・ジュノー氏へ伝えられ、9月初めに同氏から医薬品が広島へ届(とど)けられた。