きかくてんをみよう
被爆(ひばく)資料(しりょう)遺影(いえい)体験記(たいけんき)
全国(ぜんこく)募集(ぼしゅう)の成果
4館の収集実績(しゅうしゅうじっせき) 全国募集(ぜんこくぼしゅう)を行った平成16年7月から平成18年3月までの各館における収集実績(しゅうしゅうじっせき)は次のとおりです。
巡回展開催実績(じゅんかいてんかいさいじっせき)
事業の周知と原爆被害(げんばくひがい)に対する啓発(けいはつ)を図るため、巡回展(じゅんかいてん)「写真と絵でつづるヒロシマ・ナガサキ原爆展(げんばくてん)」を、全国各地で開催(かいさい)し、15会場で、()べ44,000人(あま)りの来場者がありました。多くの人に被爆(ひばく)の実相を伝え、(かく)と平和について考えていただくことができました。開催実績(かいさいじっせき)は次のとおりです。居住(きょじゅう)する被爆者数(ひばくしゃすう)の多い県を中心に実施(じっし)しています。

 
広島平和記念資料館への寄贈資料(きぞうしりょう)  
 
寄贈者(きそうしゃ)の約半数は広島市内在住者(ざいじゅうしゃ)です。
県内(市外)は廿日市市(はつかいちし)9人、府中(ふちゅう)町6人、呉市(くれし)・福山市・東広島市が各5人の順。
県外は東京都15人、山口県8人、神奈川県5人、兵庫県4人、大阪府3人の順。
海外はアメリカ3人、イギリス2人、カナダ1人です。
  60代以上の被爆(ひばく)体験(たいけん)のある世代が、全体の83%(181人)を()めています。被爆者(ひばくしゃ)および遺族(いぞく)高齢化(こうれいか)による、世代間継承(けいしょう)への不安があることがうかがえます。
 
被爆(ひばく)資料(しりょう)(被爆(ひばく)(あと)がないもの)」が全体の38%。このうち、家族のもとに残された犠牲者(ぎせいしゃ)の衣類や日用品などが27%、被爆者(ひばくしゃ)の当時の愛用品などが11%です。
被爆(ひばく)資料(しりょう)(被爆(ひばく)(あと)が残るもの)」が全体の21%。被爆者(ひばくしゃ)が当日身につけていたものや、()(あと)から()()したもので、本人からの寄贈(きぞう)が4%、遺族(いぞく)からの寄贈(きぞう)が17%です。「調査研究資料(ちょうさけんきゅうしりょう)」は、広島市による似島発掘資料(にのしまはっくつしりょう)約40点をはじめ、被爆調査団(ひばくちょうさだん)等の関係者が残したノート・日記・写真などです。
「その他」は絵葉書・雑誌(ざっし)・地図などの戦中・戦後資料(しりょう)です。
  文書類が全体の59%と最も多く、主なものは、教科書・ノート・手紙・日記など約150点、罹災証明書(りさいしょうめいしょ)死亡証明書(しぼうしょうめいしょ)など約70点です。次いで衣類が17%、どちらも保存(ほぞん)しやすく、本人に身近で愛着が深いといった理由が考えられます。仏像(ぶつぞう)仏具(ぶつぐ)刀剣類(とうけんるい)は、家庭にあった観音像(かんのんぞう)仏飯器(ふつめしき)、当時の軍刀などです。
米軍関係資料(べいぐんかんけいしりょう)は、捕虜(ほりょ)として被爆(ひばく)した米軍兵士の遺品(いひん)などです。


寄贈者(きそうしゃ)すべての方から聞き取りを行なうことはできませんでしたが、当時の状況(じょうきょう)や平和を願う気持ちなどを(うかが)うことができました。
寄贈(きぞう)(いた)るまでには、さまざまな心の葛藤(かっとう)があったようですが、「保管(ほかん)(むずか)しい」という事情(じじょう)よりも、「平和教育に役立てたい」という前向きな気持ちが感じられました。

  託された過去と未来
■被爆資料・遺影・体験記全国募集 新着資料より


●はじめに
■被爆資料・遺影・体験記全国募集の概要-収集実績の解説
■今 明かされる思い
  あの日の記憶
  消えない悲しみ
  帰らぬ人の面影
■私たちに託される思い
  -寄せられた資料の中から
■被爆資料・遺影・体験記全国募集の成果
  広島平和記念資料館への寄贈資料

●おわりに

 ▲TOPにもどる