きかくてんをみよう
おわりに
 
被爆(ひばく)したシダレヤナギ
鶴見橋(つるみばし)東詰(ひがしづめ) 2005年9月3日
被爆(ひばく)直後の惨状(さんじょう)困難(こんなん)状況(じょうきょう)下で撮影(さつえい)された被災(ひさい)写真(しゃしん)意義(いぎ)非常(ひじょう)に大きい。原爆(げんばく)報道(ほうどう)(きび)しく規制(きせい)された占領(せんりょう)下において撮影者(さつえいしゃ)がそのフィルムを守り通したことから、私たちは60年前に起こった事実を知ることができる。その事実の重大さを知ることは、宮武(みやたけ)(はじめ)氏、松本(まつもと)榮一(えいいち)氏がなぜこのフィルムを守り続けたかの答えでもある。今日、これら被災(ひさい)写真(しゃしん)は、平和を願う世界中の人々の共有の財産(ざいさん)であると言えよう。
監修 井手三千男  協力 朝日新聞社

図版一覧 
表紙上・5・7~36宮武甫氏撮影・朝日新聞社提供、
表紙左下・右下・39~65松本榮一氏撮影・朝日新聞社提供、
1・4宮武美子氏提供・朝日新聞社所蔵、2松本保氏提供、
3平和記念資料館所蔵、6宮武美子氏提供、37朝日新聞社提供、38中国新聞社提供、裏表紙広島市平和推進担当所蔵

  宮武甫・榮一写真展
―被爆直後のヒロシマを撮る

 ●はじめに
 ●宮武甫撮影-傷つけられた人々-
  ■ヒロシマに入る
  ■臨時救護所となった福屋百貨店
  ■負傷者を乗せたトラック
  ■住吉橋のたもとの臨時救護所跡と火葬場
  ■混乱の中の広島赤十字病院
  ■爆風の爪あと
  ■廃虚の中
 ●松本榮一撮影-破壊された街-
  ■爆心地とその周辺
  ■紙屋町・本通り付近
  ■基町付近
  ■幟町付近
  ■千田町・皆実町付近
  ■比治山・段原
 ●おわりに

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