きかくてんをみよう
松本榮一撮影 破壊(はかい)された街-
基町(もとまち)付近(ふきん)
がれきの中に
()いたカンナ

爆心地から約820m 基町(もとまち)
焼け野原となった街にも草木の根は生きていた。中国軍管区(ぐんかんく)砲兵(ほうへい)補充隊(ほじゅうたい)()(あと)に芽を出し花を()かせたカンナ。松本榮一氏は「不思議な気がして思わずシャッターを切った」そうだ。
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広島護国(ごこく)神社の
(どう)ろう

爆心地から約370m 基町(もとまち)
上部の火袋(ひぶくろ)()()ばされ、爆風(ばくふう)()き上がった基部(きぶ)には、その瞬間(しゅんかん)()んで来た小枝(こえだ)がはさまり、()みこんでいる。
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広島護国(ごこく)神社の倒壊(とうかい)した鳥居(とりい)
爆心地から約350m 基町(もとまち)
1956(昭和31)年、神社は広島城本丸(ほんまる)移転(いてん)し、跡地(あとち)は広島市民球場になっている。折れた鳥居(とりい)脚部(きゃくぶ)は1971(昭和46)年下水道工事中に発見され、発見場所から南へ約20mの広島市青少年センター北側に保存(ほぞん)されている。

  宮武甫・榮一写真展
―被爆直後のヒロシマを撮る

 ●はじめに
 ●宮武甫撮影-傷つけられた人々-
  ■ヒロシマに入る
  ■臨時救護所となった福屋百貨店
  ■負傷者を乗せたトラック
  ■住吉橋のたもとの臨時救護所跡と火葬場
  ■混乱の中の広島赤十字病院
  ■爆風の爪あと
  ■廃虚の中
 ●松本榮一撮影-破壊された街-
  ■爆心地とその周辺
  ■紙屋町・本通り付近
  ■基町付近
  ■幟町付近
  ■千田町・皆実町付近
  ■比治山・段原
 ●おわりに

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