きかくてんをみよう
宮武甫撮影 (きず)つけられた人々-
臨時(りんじ)救護所(きゅうごしょ)となった福屋百貨店
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被爆(ひばく)した兵士たち
爆心地から約710m 胡町(えびすちょう)
建物の外郭(がいかく)だけが残った福屋百貨店は臨時(りんじ)救護所(きゅうごしょ)となり、西練兵場などで被爆(ひばく)した兵士が収容(しゅうよう)された。

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遺体(いたい)をだびに付す
爆心地から約740m 堀川町(ほりかわちょう)
福屋百貨店に収容(しゅうよう)され()くなった兵士たちは、南側の空き地でだびに付された。膨大(ぼうだい)な数にのぼる遺体(いたい)処理(しょり)困難(こんなん)をきわめ、市内各所に臨時(りんじ)火葬場(かそうば)急造(きゅうぞう)された。
 
顔と手にやけどを負った兵士
爆心地から約710m 胡町(えびすちょう)
皮膚(ひふ)露出(ろしゅつ)した部分は熱線でやけどを負った。この兵士は正面から熱線を浴びた。
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負傷者(ふしょうしゃ)を乗せたトラック
爆心地から約920m 日本勧業(かんぎょう)銀行広島支店前 上流川町(現在の胡町(えびすちょう)
広島市と隣接(りんせつ)する安芸・佐伯(さえき)安佐(あさ)郡を中心に救護所(きゅうごしょ)開設(かいせつ)されたが、収容(しゅうよう)しきれない負傷者(ふしょうしゃ)はさらに遠くの市町村に()()てられた。負傷者(ふしょうしゃ)は列車、トラック、船などで搬送(はんそう)されたがそのようすを撮影(さつえい)した写真はほとんどない。
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しゃがみ()んだ救護(きゅうご)隊員(たいいん)は、負傷(ふしょう)した少女におにぎりを少しずつ食べさせようとしている。 ムシロと少しばかりの座布団(ざぶとん)()いただけの荷台での移動(いどう)は、負傷者(ふしょうしゃ)には相当の苦痛(くつう)であったと思われる。

  宮武甫・榮一写真展
―被爆直後のヒロシマを撮る

 ●はじめに
 ●宮武甫撮影-傷つけられた人々-
  ■ヒロシマに入る
  ■臨時救護所となった福屋百貨店
  ■負傷者を乗せたトラック
  ■住吉橋のたもとの臨時救護所跡と火葬場
  ■混乱の中の広島赤十字病院
  ■爆風の爪あと
  ■廃虚の中
 ●松本榮一撮影-破壊された街-
  ■爆心地とその周辺
  ■紙屋町・本通り付近
  ■基町付近
  ■幟町付近
  ■千田町・皆実町付近
  ■比治山・段原
 ●おわりに

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