宮武甫撮影
-
傷
(
きず
)
つけられた人々-
■
臨時
(
りんじ
)
救護所
(
きゅうごしょ
)
となった福屋百貨店
8
被爆
(
ひばく
)
した兵士たち
爆心地から約710m
胡町
(
えびすちょう
)
建物の
外郭
(
がいかく
)
だけが残った福屋百貨店は
臨時
(
りんじ
)
救護所
(
きゅうごしょ
)
となり、西練兵場などで
被爆
(
ひばく
)
した兵士が
収容
(
しゅうよう
)
された。
9
遺体
(
いたい
)
をだびに付す
爆心地から約740m
堀川町
(
ほりかわちょう
)
福屋百貨店に
収容
(
しゅうよう
)
され
亡
(
な
)
くなった兵士たちは、南側の空き地でだびに付された。
膨大
(
ぼうだい
)
な数にのぼる
遺体
(
いたい
)
の
処理
(
しょり
)
は
困難
(
こんなん
)
をきわめ、市内各所に
臨時
(
りんじ
)
の
火葬場
(
かそうば
)
が
急造
(
きゅうぞう
)
された。
顔と手にやけどを負った兵士
爆心地から約710m
胡町
(
えびすちょう
)
皮膚
(
ひふ
)
が
露出
(
ろしゅつ
)
した部分は熱線でやけどを負った。この兵士は正面から熱線を浴びた。
10
■
負傷者
(
ふしょうしゃ
)
を乗せたトラック
爆心地から約920m 日本
勧業
(
かんぎょう
)
銀行広島支店前 上流川町(現在の
胡町
(
えびすちょう
)
)
広島市と
隣接
(
りんせつ
)
する安芸・
佐伯
(
さえき
)
・
安佐
(
あさ
)
郡を中心に
救護所
(
きゅうごしょ
)
が
開設
(
かいせつ
)
されたが、
収容
(
しゅうよう
)
しきれない
負傷者
(
ふしょうしゃ
)
はさらに遠くの市町村に
割
(
わ
)
り
当
(
あ
)
てられた。
負傷者
(
ふしょうしゃ
)
は列車、トラック、船などで
搬送
(
はんそう
)
されたがそのようすを
撮影
(
さつえい
)
した写真はほとんどない。
11
12
しゃがみ
込
(
こ
)
んだ
救護
(
きゅうご
)
隊員
(
たいいん
)
は、
負傷
(
ふしょう
)
した少女におにぎりを少しずつ食べさせようとしている。
ムシロと少しばかりの
座布団
(
ざぶとん
)
を
敷
(
し
)
いただけの荷台での
移動
(
いどう
)
は、
負傷者
(
ふしょうしゃ
)
には相当の
苦痛
(
くつう
)
であったと思われる。
宮武甫・榮一写真展
―被爆直後のヒロシマを撮る
●はじめに
●宮武甫撮影-傷つけられた人々-
■ヒロシマに入る
■臨時救護所となった福屋百貨店
■負傷者を乗せたトラック
■住吉橋のたもとの臨時救護所跡と火葬場
■混乱の中の広島赤十字病院
■爆風の爪あと
■廃虚の中
●松本榮一撮影-破壊された街-
■爆心地とその周辺
■紙屋町・本通り付近
■基町付近
■幟町付近
■千田町・皆実町付近
■比治山・段原
●おわりに
▲TOPにもどる