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第16回 広島平和記念資料館展示検討会議要旨

1 日時  
平成26年(2014年)3月25日(火)午前10:00~12:00

2 場所
広島平和記念資料館東館地下1階 メモリアルホール

3 出席委員(10名)
今中委員長、大井副委員長、水本副委員長、石丸委員、宇吹委員、大澤委員、神谷委員、坪井委員、賴委員、小溝委員

4 事務局(10名)
平和記念資料館 志賀館長、増田副館長、立石副館長、大瀬戸主任、宮澤主査、落葉学芸員、福島学芸員
平和文化センター総務課 清川参事
市平和推進課 石田被爆体験継承担当課長、沖中技師

5 丹青社(3名)

6 議題等
議題  展示解説文について
資料館からのメッセージについて

7 公開、非公開の別
公開

8 傍聴者
報道機関6社ほか1名

9 会議資料名
第16回広島平和記念資料館展示検討会議次第
資料1 コーナー解説・項目解説(見え消しA4版)
資料2 個別解説候補一覧
資料3 コーナー解説・項目解説一覧(A3版)
資料4 平和記念資料館からのメッセージについて

※会議資料は、広島平和記念資料館学芸課(広島市中区中島町1番2号:広島平和記念資料館東館3階)でご覧いただけます。また、議事録はホームページでも公開しています。

10 会議要旨

《開会》

【事務局】
コーナー解説、項目解説について事務局より資料1を説明。

今中委員長 
ただ今の展示説明文について、委員の皆さんのご意見をお願いしたい。 

小溝委員 
P1、5-1最初の解説文「広島に世界で初めて原爆を投下しました」の部分は、人間の上に落とされたことが非常に重要である。もし反対がなければ「広島に世界で初めて人間の上に原爆を投下しました」となる。人の上に投下した事実を明確に言った方が良い。 

小溝委員 
P2、6-5「放射線」で修正された「原爆が核分裂を始め、さく裂後1分以内に」の箇所は、科学者なら明確に理解すると思う。科学者でない人は、核分裂がかなり長い時間で起こっていると思うだろう。核分裂は100万分の1秒で起こったが、その後さらに1分まで放射線が出続けるのである。また、爆発する前から、放射線が真っ先に出た。それが、この表現では良くわからない。

小溝委員
P3、7-5最後の文章で挙げられている例示は、極めて不十分な核削減努力に過ぎない。一番最後に「今後の国際社会が協力し」とあると、あたかもこれが大きな前進であるかのような印象を与える。「今後いっそう推し進めていく必要がある」と言わないといけない。
P5、9-4「土地区画整理事業が進むにしたがいバラックは姿を消していき」の箇所だが、バラックは被災者の方々住んでいた所で、すっきりとは読めない文章である。被災者を脇にどけておけ、と取られかねない。誤解を与えるなら削除しても良い。入れるなら、表現を考えなければならない。
 
今中委員長
バラックの箇所は、「こんな粗末な家に住んでいた」という意味に取られる、ということか。
 
小溝委員
確かに、(住環境が)改善されたという面では良いが、バラックには被災者の方が住んでいた。この文章だとそれがない。事実としては正しいが、バラックは色々な思いをもって姿を消していった。区画整理で街が整備され、それはやらなくてはいけないことである。だが、これを読んで逆の立場から見ると、立ち退かされた人に対する思いやりがないという反感を生むのではないか。色々な意見があると思う。それを踏まえて書いているか。
 
今中委員長
今の小溝委員のご意見についてはどうか。 

石丸委員
人間の上に落とされた、という表現は良いが、都市の上に落とされた、というのはどうか。「広島に世界で初めて、都市として原爆を投下した」。
 
小溝委員
あくまでもポイントは人に対して使ったことだ。「都市に」は「人間の上に」となる。都市には人がいる。
 
今中委員長
アラモゴードでの核実験でも被害者は出ている。 

小溝委員
その点はある。被害者は存在する。 

水本委員
人間が標的となった。初めて実戦で使用された事もあるし、人間に使用された事もある。一般市民に対して(使用された)という表現でも良いのではないか。
 
今中委員長
人間だけではなく、動植物も焼き尽くされた。ここは保留とするか。 

水本委員
なるべくそのニュアンスが伝わるように検討する。 

今中委員長
ここは再検討とする。文言は確定したいが、大事な部分は保留にして、検討の余地を残す。

今中委員長
6-5「放射線」の核分裂の箇所は、良い表現があれば小溝委員に試案を頂きたい。P3、7-5の文章に「いっそう」を入れる意見があった。

水本委員
「いっそう推し進めていく必要がある」という表現が良いと思う。 

今中委員長
了解した。バラックのくだりは表現が粗いというご指摘があったが、ここはいかがか。 

石丸委員
住宅制度は被爆者のためだけに実施されたのではない。仮設的な建物を、常設にして宅地を確定する。被爆者もいるし、圧倒的に被爆者以外の人が集まっていた。

小溝委員
仮設住宅か。 

石丸委員
そうである。とりあえず建てられた家が、良い家なら移転する。新しく家を建て替える人に対してである。

小溝委員
「~仮設住宅は姿を消していきました」になるか。 

水本委員
違法建築だが、住宅難でやむを得ず自力で家を建てた人がいた。

石丸委員
ちゃんとした権利として、もともとの宅地が換地処分で配置された。そこにどうやって住むか、という事である。粗末な物は建て替え、状態が良い家は移転させて、本格化する。

今中委員長
別の観点からだが、「バラック」は今の中学生にわかるだろうか。また「仮設住宅」では意味が違うとすると、どう表現するか。 

石丸委員
本格的な建設が始まった、という言い方にできればと思う。

今中委員長
今の「~バラックは姿を消していきました」という表現自体はわかりやすい。仮設という言葉で置き換えられなくても、イメージが目に浮かんでくると思う。 

大澤委員 
簡単に、「土地区画整理事業が進むにしたがい街の姿が大きく変貌しました」ではどうなるか。バラック以外にも、(生活排水が)垂れ流しの所もあった。 

石丸委員 
それはまた違う。 

大澤委員 
垂れ流しの所だけでもないし、バラックだけでもない。だから「土地区画整理が進むにしたがい、まちの姿は大きく変化しました。」とバラックを削除してはどうか。簡単過ぎるだろうか。

今中委員長
バラックも仮設住宅も適切でないとすると、どう表現するか。難しくなく、今言われたように「~街は大きく姿を変えていった」とするか。
 
水本委員
個別解説で写真を出すのか。 

事務局
バラック関連の写真を予定している。 

水本委員
文章で(バラックに)触れなくても、個別解説で写真があればそれで伝える、という考え方で良いのではないか。
 
今中委員長
バラックという言葉を削除して、今のご意見の「街の姿が~」として良いか。 

水本委員
削除しても伝わる。ビジュアルでバラックを出す。項目解説の下の、個別解説に写真があれば伝わると思う。
 
大井委員
9-2項目解説「被爆直後の混乱~」にもバラックが出てくる。ここの説明でバラックがわかるよう配慮しなければいけない。全体的な調整が必要である。写真の使い方は、総合的な話になる。項目解説の短い文章+ビジュアルとして映像や写真が付いてくる。そのバランスも考えながら、バラックに関して調整する必要がある。きちんと読んでもらえれば、バラックがどのようなものかわかるし、それに写真が置かれていればわかると思う。その辺のことが、文字だけでは調整しづらい。先程のバラックという表現は、「こういうところで生活されていたのか」と、見た人がわかれば良い。 

水本委員
きちんと読んだ後に写真があれば違和感はない。 

今中委員長
今の意見をベースに事務局で検討して頂きたい。 

坪井委員
先程から言われているように、不特定多数の人、小さい人にも少しでもわかって欲しい。戦前から多くの問題を知っている人が読むのとは違う。どういう人たちにも対応できるように、できあがってからも修正はできると思うが、どうしても説明が不足する形になる。説明すると長くなって、情報を読まなくなる。見学時にはそのような事がある。そういうところはしっかり計画はされていると思う。
被爆後の復興問題において日本人の教育水準が高かったことが大きい。技術的な面もそうである。日本全体の教育水準が高く、そして日本人がよく頑張った、というイメージも欲しい。日本人の道徳的な力もある。そういうものも入れ込んで広島が復興したと、少し明るさを出してもらって良いのではないか。
あとは、実態から「ここは少し説明が要る」というのは、これからだと思う。そういうことが幅広くあって、そういう形で進めていければと思う。
 
宇吹委員
P1、5-1「原子爆弾の開発と投下」で、投下した理由について「膨大な経費を使って~」の部分は、コーナー解説と項目解説にあって表現が重複しており、どこかを削っても良いのではないか。
膨大な経費を使ったのはアメリカ内部の問題であるが、どういう根拠になるか。説があるのは知っている。質問に答える場合、どういった資料を準備されているか。 

事務局
現在の東館の展示でも取り上げている。後に国務長官となるバーンズの資料がある。
 
宇吹委員
そのレベルの資料であれば、ぜひ取り上げるべきと思う。重複感については考えて欲しい。
 
神谷委員
P3、7-1のコーナー解説「核の時代から核廃絶へ向けて」とあり、項目解説の最後に「核兵器廃絶に向けた世界の動き」とある。核廃絶は、核兵器廃絶である。「核」か、「核兵器」か、どちらかに合わせた方が良い。 

今中委員長 
タイトルの箇所、「核廃絶」は「核兵器廃絶」となる。 

石丸委員 
P5、9-4の1行目「広島の復興計画が提案されました」とあるが、計画にかなりシフトしてしまうので「復興計画・構想」としたい。市民が提案したものもあるし、都市移転構想がある。 

今中委員長 
変更の提案どおり「復興計画・構想」とする。 

水本委員 
P5、9-1の最後「国による~拡充されていきました」の箇所は、国が率先して拡充したように読めなくもない。被爆者の強い要望があり、それに応える形で拡充された。被害者の要望に沿ったものであることを何か一言加えた方が良い。 

小溝委員
P2、6-5の2行目。委員長の指示に従い、一案を提案する。核分裂の箇所は「原爆が核分裂を始め~」ではなく、「原爆が核分裂し、さく裂後1分以内に」とすれば、核分裂が長く続いている文章ではなくなる。私が感じた違和感はなくなる。
6-1「核分裂が極めて短い時間に」の所は、資料によると100万分の1秒とされているが、それを入れると不正確なのか。入れなくても良いとは思うが、例えば「核分裂が100万分の1秒という極めて短い時間に~」としないのか。
 
今中委員長
項目解説としてより、個別解説で敷衍できるところも多い。本日ご指摘の範囲内で修正する。
この場で決定した部分もあるし、表現を工夫したもの、重複感のあるところもあった。その辺を再度調整する。続いて議題2「資料館からのメッセージ」について事務局から説明をお願いする。   

【事務局】
「資料館からのメッセージ」について、事務局より資料4を説明。

今中委員長
メッセージについては、展示説明文執筆会議における多数の試案を①、②の2つに絞り込んだ。③は趣が違うが、外国語に訳した時に印象が強いが、資料館という主語がない。資料館に来る人に対して、主語に「資料館」がいるかである。「広島平和記念資料館は、こういうことのためにあります」と説明する時に、主語はやはりあった方が良いかと思う。大事な点であり、ご意見を賜りたい。 

水本委員 
P19の「4注意」に書かれているが、東館オープンの時点でこのメッセージは設置するのか。 

事務局 
そうである。3F~2Fを見て頂いた後に、1Fで「被爆の実相展示」を見て頂く。 

石丸委員 
① 、②は100文字を超えており、追加できないのか。 

今中委員長 
10文字程度ならこだわらなくて良いのではないか。どうしてもこれは入れたい、という事があればお願いしたい。視覚的にぱっと見て(本館に)入っていくものであり、あまりくどくど付け加えない方が良いという意見もある。
 
神谷委員
資料館のメッセージとしてどういう内容を伝えたいかである。少なくとも1つは原爆という兵器の特性やそれがさく裂することによる非人道的、無差別殺人、あるいは破壊の全体像を資料で示す。
もう1つは平和への希求、新しい希望を出す必要がある。核兵器を廃絶して、平和の構築をする。そういう未来に向けたメッセージが必要ではないか。
 
今中委員長 
② のノーモア・ヒロシマは常套句だが、今言われたことを的確に表していると思う。 

坪井委員
原爆の非人道性など、色々な問題がある。その人たちにとっては、人生を長期間苦しまなければならない。普通の空襲や戦争とは違うところがやはり出ないといけない。二世、三世まで影響が考えられるような問題を含んでいる。従って、非人道性と、長期間苦しめられる、という響きが欲しい。
 
水本委員
坪井委員の言われた内容は、①の「生き残った人々の人生も変えました」という所に含まれていると思う。神谷委員の言われた内容は、設置目的にも端的な形ではあるが入っている。色々な立場から資料館を見る人もいる中で、資料館の使命を伝える。コアなファンクションとして何を展示しているかを示しているのは①であると思う。
 
今中委員長
坪井委員が言われた「人生を変えた」という点は重い。そこに思いがこもっている。人生を全く変えてしまった。前市長、現市長から、「検討に当たって、理念と、遺品と資料でコンパクトにうまく全てを語って欲しい。それが資料館だ。あとは見た人が、"やはり核兵器は二度と使ってはならない"という思いを持って帰ってもらえれば良い。あまりくどくしないで、"原爆を使ったらこうなりますよ。これが現物の資料です。"ということに力点を置いて欲しいという要望があった。それに沿ったメッセージ案に近づいていると思う。皆さんの思いもおありだろう。それと同時に、100字くらいで一番適切なものにしたい。
①は被爆の跡を残す資料や遺品、証言を入れている。資料には被爆者の思い等も全て包含されていると思う。筆舌に尽くしがたいものを残しているが、それは「恐怖」と「非人道性」に込められている。ノーモア・ヒロシマを訴えるのだという意志で、この文言を付け加えるかどうか、また③を選択肢に残すかである。
 
大井委員
展示計画のスタート時の大きなコンセプトで、本館は人間中心である。①は原爆を人の上に落とした、「人」が強く表現されている。①~③すべてにそれは含まれているが、①をベースに修正するのが良い。委員長が言われたが、主語をどうするか。P19を見ると、この文章は導入展示から見て突き当たり正面に文字が書かれる。やや映像っぽいイメージで描かれているが、実際はどうなるか。短い文章できちんと伝えるため、見せ方も含めて検討が必要。核になる文章ができれば、それを微調整しながら見せる手法ともうまくリンクさせるため、できるだけ早い時点で検討した方が良いだろう。仮設展示も行われるため、早く検討しないと、効果的なものにならないだろう。資料館にとっては重要な骨になる文章をぜひまとめて頂ければと思う。
 
小溝委員
文字数をほとんど変えないで、①「跡を残す」の4文字を削って良い。「核兵器がもたらす恐怖」を「核兵器の恐怖」として、ノーモア・ヒロシマを付け加える。「~被爆の資料や遺品、証言などを通じて世界の人々に、核兵器の恐怖や非人道性を伝え、ノーモア・ヒロシマと訴えます」で102字になる。「通じて」の「て」を取れば101字におさまる。
 
今中委員長
以上の調整でおさめてよろしいか。国籍を問わず滅茶苦茶に人の命を奪った無差別性、生き残った人の人生も完全に変えた。資料、遺品、証言の存在、アピール性ではノーモア・ヒロシマという表現を加えている。
 
石丸委員
賛成である。直接、平和と言わなくても良いが、平和という言葉が全然出ないのもどうかと思う。ノーモア・ヒロシマは入れないといけない。
 
今中委員長
よろしいだろうか。坪井委員はいかがか。 

坪井委員
了解した。 

今中委員長
メッセージは以上の内容を形にしたい。本日の議題は以上である。他にご意見があれば伺いたい。
 
大井委員
仮設展示も含め、これから展示や映像が生じてくる。工夫して色々な人が読みやすくしているが、盛り込めなかったものを画像や映像、文章と関連するものを展示でフォローするよう努めていただきたい。
 
今中委員長
微修正はありうる。今後、パッとするようなものがあれば、再度考えてみることはある。それでは資料2について事務局から説明をお願いする。 

【事務局】
個別解説候補について、事務局より資料2を説明。

今中委員長
個別解説は、今後の執筆会議で本格的に検討していく。ある時点で公開される。 

小溝委員
どこまでできるかわからないが、P4、8-1「戦前の広島」は、軍都としてのことしか触れていないが、戦前の広島は学問・文化の中心の一つだった街でもあり、豊かな文化、精神的な文化があった都市である。破壊されたものには、計り知れない文化的な側面も多分にある。
例えば田辺氏たちが復元しようとしているものなど、何人かの方の話を聞くと、無くなってしまったので証明しづらいが、実は文化的な生活が大きく破壊された。今の展示では理解できない。戦争に加担したことを入れるのは当然だが、同時に、以前の広島の街にどれだけ文化があって、どういう生活をしていたかが感じられるような側面を入れてはどうか。 

大井委員 
美術品などは色々なものがあったが、一挙に無くなった。私の家にも、戦前の文人画が残っていたりする。広島の三次に同じ書家に描かせた絵があった。恐らく膨大な数のものが無くなっていると思う。残念なのは、どういうものが存在していたかのデータはわからない状況で、無くなってしまった。
軍都として経済の影響を受け、一方では呉服屋さんがあったり、商業など、あまり残っていない。しなければいけないだろうがどう表現するか。これから広島の課題になる。復興にそれだけ時間がかかり、芸術的な面ではやっと美術館や大学の色々な学科ができてきた。文章で入れられれば良いがなかなか難しいだろう。文化的なものも資料館で表現できればと思う。 

石丸委員 
無くなったことも問題だが、そういうものがうまく復興できていないという、復興の問題でもある。街の姿は整っていったが、市民生活、文化的な生活が主要なテーマになり得ていなかった。放ったらかしであった、そういう面からも(文章が)書けると思う。私は、復興がハードに寄りすぎると言ってきた。反省的な意味も含めての意見である。 

宇吹委員 
賴委員がお詳しいと思うが、文化財点数は市勢要覧に掲載されていたように思う。泉邸なり頼山陽記念館なり、今に残っているものをピックアップすれば、かなりのものを拾えると思う。確かに、そういう視点がなかった。広島市の出版物で戦前を取り上げた折には、かなり詳しく掲載していた。 

賴委員 
明治9年の県庁の火災で文書が焼け、かなり失われたがまだ相当残っていた。市役所の向こう側の浅野図書館は、戦前には未調査の資料が地下倉庫に多数あったが原爆で全部焼けた。戦前の色々な記録を調べれば、ある程度は把握できると思う。失われた文化遺産は相当なものになると推測される。丹念に探せば、目録が出てくるだろう。浅野家の文化財も焼けた。熊本の細川家以上のものを持っていた。そういうものがあまり注目されずにきている。 

今中委員長 
貴重なご意見を頂いた。本格的には困難だが、大事な視点である。個別解説の中でにじませることはできると思う。 

石丸委員 
工事期間中に来館した人ががっかりしないよう、どう配慮するか。一生に一度しか来られない人もいる。適度な情報はあるとしても「もうちょっと本格的なものが見たかった」とならないよう、何か良い方法はないか。「がっかりしました」という投書などがあると良くない。全国紙への公示などはされているのか。その辺の配慮もお願いしたい。 

今中委員長 
展示を大幅に制限されるのはやむを得ない。 

事務局 
建築改修は今月開始され、展示工事はこれからである。日程が固まったらすぐにPRを開始したい。東館の工事期間は、東館の仮設展示を本館で行う。網羅的に伝えるようにしていきたい。本館の仮設展示は東館1Fで行う。 

今中委員長 
来年、ボーイスカウトの世界ジャンボリー大会が山口市で開催される。2万人以上の青少年が集まる。せっかく外国の青少年に見てもらえる機会である。 

(事務局からの報告等) 

志賀館長
今後の進め方について報告させて頂く。来年度も引き続き展示について検討作業を進めていく。先程大井委員からご指摘のあった映像を含めたビジュアルでどういうものを展示していくか、設定作業に入っている。個別解説にも着手している。さらに翻訳作業も並行して進めていく。まとまり次第、適宜会議を通じてご報告する。今年度と同様2回程度の開催を予定している。お気づきの点、進め方についてのお問い合わせは事務局までご連絡頂ければと思う。
石丸委員からのご指摘は我々も痛感しているが、具体的な仮設展示の日程は未定である。旅行会社、修学旅行を計画している学校からのスケジュールの問い合わせに答えられないもどかしさもある。観光協会からも、できるだけ早く広報して欲しいという話がある。アバウトな段階でもホームページなどを通じて周知を図っていきたい。修学旅行についてはこの日は何団体来館するか等、ある程度早い時期からわかっており、混雑状況もホームページを通じて配信していきたい。あらかじめ申し込みをされない団体の来館計画にも役立てて頂けるようにしたい。ゆったりした環境でご覧頂けるよう工夫したい。展示内容も詰めていく必要がある。 

石田課長 
施設整備については広島市が所管である。東館の施設整備については3月18日に着工した。
今後、平成26~27年度いっぱいをかけて東館の施設整備を、それに引き続いて展示整備を行っていく。今夏まで東館地下1Fの改修を行う。この時点では、東館の常設展示は現在と同じようにご覧頂ける。今秋から常設展示の部分、1F~3Fのエスカレーターの新設、展示更新に伴う内部工事に着手するため、東館の常設展示はいったん閉館する。その間、本館北側のギャラリーで仮設展示を行う。工事日程の詳細な情報が明らかになり次第、皆様にご連絡させて頂く。
東館は平成27年度いっぱいまで工事を行い、平成28年度当初にリニューアルオープン予定である。本館は耐震化とコンクリート劣化に伴う補強工事を平成28~29年に行う。重要文化財であり、建物の保存工事と、それに合わせた展示更新を行う。平成30年当初にグランドオープンの予定である。 

【事務局】
今後のスケジュールを説明。

《閉会》