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第15回 広島平和記念資料館展示検討会議要旨

1 日時  
平成26年(2014年)1月7日(火)午前10:00~12:00

2 場所
広島国際会議場3階 研修室

3 出席委員(10名)
今中委員長、大井副委員長、水本副委員長、石丸委員、宇吹委員、大澤委員、神谷委員、静間委員、賴委員、小溝委員

4 事務局( 9名)
平和記念資料館 志賀館長、増田副館長、立石副館長、大瀬戸主任、落葉学芸員、福島学芸員
平和文化センター総務課 清川参事
市平和推進課  石田被爆体験継承担当課長、沖中技師

5 丹青社(2名)

6 議題等
議題  展示説明文について

7 公開、非公開の別
公開

8 傍聴者
報道機関7社ほか1名

9 会議資料名
第15回広島平和記念資料館展示検討会議次第
資料1 コーナー解説・項目解説・個別解説の作成基準
資料2 コーナー解説・項目解説一覧(事務局案)
参考資料 東館3F展示・東館2F展示 展開イメージ

※会議資料は、広島平和記念資料館学芸課(広島市中区中島町1番2号:広島平和記念資料館東館3階)でご覧いただけます。また、議事録はホームページでも公開しています。

10 会議要旨

《開会》

【事務局】
資料1、2について事務局より説明。

静間委員
(11月の)執筆会議で出された文案と今回の文案の関係はどうなっているのか。

事務局
11月の執筆会議以降に各担当委員とやりとりした内容を反映したもので、11月時点からは変わっている。

静間委員
2月(の執筆会議)にまたフィードバックするのか。

事務局
本日の協議結果を反映して2月の執筆会議、3月の展示検討会議で検討を行う。
 
今中委員長
項目解説は200字を基本としているが、ほとんどがオーバーしている。200字以内ということではなく、200字前後であると拡大解釈をしている。もっと長いものもあったが、可能な限り短くしている。項目解説で300字を超えているものがある。大半が250~260字である。原則を守った方が良いが、ぎりぎりのところかと思う。中学生にわかりやすくすることが根底にあり、ひらがなが多い方が良いが、字数制限の面で漢字が多くなっている。執筆は14名の委員が担当しており、名前は省略している。
事務局からの説明についてご意見をお願いしたい。

水本委員
P4の「核拡散防止の取り組み」に「原子力の平和利用~」とあるが、「原子力の民生利用」にすべきではないか。英語でもcivil useという表現の方が正確である。NPT の条文では「平和利用」という言葉が使われているが、それは当時の原子力の利用が平和をもたらすのだというイメージも込められた言葉であり、より正確に「民生利用」の方が望ましい。
「核軍縮に向けた世界の動き」の項目は、時系列に沿って米ロの1991年の戦略兵器削減条約の後、2009年のオバマ大統領のプラハ演説、2010年の新戦略兵器削減条約 とした方が良い。プラハ演説を一つのきっかけとして、アメリカが新しい政策を採った。順序のご検討を頂ければと思う。
 
水本委員
P5「かつて城下町だった広島~」という表記があるが、コーナー解説と項目解説が重複している。重複を避けて文字数を減らすために、コーナー解説だけで良いのではないか。
P7「広島市の訴え」は、広島市が市長をはじめとして訴えてきたのは間違いないが、市長が広島市民の声を代弁して平和宣言を発表している面もあり、「広島市」と入れるより「広島の訴え」として「市」を取っても良いのではないか。強い意見ではないが、ご検討頂きたい。
「被爆体験の継承・伝承」の「占領が終わるころから~」はどこにかかるのか。おそらく「~さまざまな動きが起こり」にかかると思う。占領が終了すると同時に検閲も終わるので、「占領が終わり、報道・出版の検閲もなくなりました。」までを一つの文章にして、その後に「そのころから」と入れた方が正確ではないか。

今中委員長
P5「戦時下の広島と戦争」のコーナー解説と項目解説の「城下町だった広島」の箇所は全体に関してか。

水本委員
「城下町だった広島は、中国地方の中心都市として発展し~」の部分についてのだぶりである。コーナー解説だけで良いのではないか。

今中委員長 
以上の指摘について異論がなければ、そのようにする。
別の箇所についてはいかがか。

静間委員
私の専門から言うと、「原子爆弾の開発と投下」「原子爆弾の威力」あたりである。以前から言ってきたが、現在の展示では長崎の原爆投下についてほとんど触れていないので触れた方が良い。個別の解説を見るといくつかは入っている。「原子爆弾の開発と投下」でマンハッタン計画のことが書かれているが、マンハッタン計画はウラン型爆弾とプルトニウム型爆弾を製作して使うことが目的だった。プルトニウム型の開発も行われたことは、「原子爆弾の開発」の箇所に必要だと思う。以降の流れで「日本への投下」「広島への投下」がある。説明を長くする必要はないが、これで終わるのではなく項目をもう一つ増やしてプルトニウム型の原爆が長崎に投下されたことを入れた方が良い。
 
静間委員
「日本への投下」を200字前後で書くのは難しいと思うが、最初から日本への投下が検討されたのではなく、最初はドイツが目標だった。ドイツが早々と無条件降伏をしたため、日本が投下対象になった。ポツダム宣言を受け入れなかったなどの経緯もあるので、その辺も少し触れた方が良い。
 
静間委員
P3「原子爆弾の脅威」のコーナー解説の「原子の核分裂」は「原子核の核分裂」だと思う。「膨大なエネルギーが放出されます」は、「膨大なエネルギーが熱線、爆風、放射線として放出される」の方が良い。その次に熱線、爆風、放射線とあるが、それとエネルギーが別物のような印象を受ける。表現の修正が必要。項目解説の、原子爆弾のエネルギーが「TNT火薬で1万6千トン」は、前回の執筆会議で「16キロトン」が良いという意見が出た。私もその方が良いと思う。ここはどう考えたのか。 

事務局
現段階では1万6千トンの方が16キロトンより数字が大きく、破壊力をイメージしやすいのではないかという考えである。

静間委員
これは次回の執筆委員会で議論して頂ければと思う。原爆の材料としてウランが何キロくらい使われ、実際に核分裂を起こしたのは何キロ、というところまでは入らないのか。その点がちょっと気になった。
「熱線」のところで「熱線の直射を受けた人は体の内部組織にまで大きな損傷を受け~」とあるが、放射線ならわかるが、熱線で内部組織まで破壊されたのか。
 
神谷委員
熱線のレベルによる。原爆の場合はすさまじい熱線が出るので、内部組織が損傷する可能性がある。ただ、その場合には熱線だけではなく激しい爆風も浴びており、区別できないレベルである。

静間委員
そうだと思う。熱線だけで「内部組織まで損傷~」というのがちょっと引っかかる。

神谷委員
(爆心地からの)距離がある場合は、内部組織の損傷までは考えにくい。

静間委員
「放射線」のところで「人体の奥深くまで入り、細胞を破壊し~」とあるが、DNAの破壊ならわかるが、「細胞の破壊」という表現になるのか。

神谷委員
DNAが損傷し、傷ができて最終的には細胞がアポトーシスを起こして死ぬ。それを別の言い方をすれば「破壊」と言える。
 
静間委員
放射線という言葉だけが使われているが、中性子、ガンマ線という言葉が入った方が良いのではないか。「放射線による影響については、今でもまだ十分に解明されておらず~」は、低線量では色々な議論があるのはわかるが、高線量によるものはわかっていると思って良いのではないか。このあたりの表現はどうなのか。
 
神谷委員
多分ここで意図されているのは、被爆後にガンを発症することははっきりしているが、発症のメカニズムに関しては十分な解明ができていない。そのために放射線障害に対する特異的な治療法がまだなかなか確立されていない状況を含めて、放射線障害というのはまだ必ずしも十分に解明されていないことを表している。
 
静間委員
P4「核実験による被害」は、いわゆる直爆による被害ではなくフォールアウトによる被害が広範囲にわたっている。そのあたりの表現を少し入れた方が良いと思う。
 
今中委員長
いくつかの指摘があった。明らかに原文を修正した方が良いものは反映する。追加した要素や、字数が増えるものはなるべく個別解説に入れないと字数が膨れ上がる。コーナー解説等で語りきれないものは個別解説に含めたい。このような考え方で良いか。

静間委員
了解した。

石丸委員
この文章が書かれた成果として、異論や反論などに対してバックデータを用意することは考えているか。おそらく将来は学芸員が代わる。色々な課題が出た時に新しい人が対応できない可能性がある。
将来のことも考え、マニュアルというと軽いが、考えられる反論や異説などもデータ化しておいた方が良いのではないか。我々も論文発表をする時は、こんな反論がでるだろうという想定問答をよくやる。そういう準備はしないのか。
 
石丸委員
全体を眺めると、P9「広島の復興、さまざまな支援」が軽い。資料館の流れの中で、これで良いのかなと思う。自分が関わっていることもあるが、ここは喜怒哀楽の哀である。突然明るい感じになっている。もっと市民生活に近づいていくとか、被爆の問題をもう少し絡めるなど。復興した、というだけではない。
 
今中委員長
この項目解説全体のトーンを変えるということか。

石丸委員
復興について本気で取り組むなら、このレベル(の情報量)では無理。上っ面になっている。
 
今中委員長
個別解説で扱えないか。

石丸委員
最大限の努力をする方法はあるだろう。皆さんはどう思われるか。全体を見た時にどうか、ということである。
 
大井委員 
今のご意見と同じ観点である。
展示の最後のコーナーは2Fで吹き抜けになっており、下の階の企画展示会場やミュージアムショップ等と空間的につながっている。できれば2Fだけで終わるのではなく、下へもつながっていく見え方になっていれば。意識的にそのように運営を行えば、今の点は解消できるのではないか。

大澤委員
個別解説に盛り込める点も色々とあるかと思う。字数をこれ以上増やさないにしても、できれば項目解説に入れておかなければならないこととして、P2のコーナー解説「8月6日、広島に世界で初めて投下された」の箇所は「8時15分」を入れることが大切だと思う。ここは議論されたのかもしれないが、どうか。
P3「放射線」のところは「放射線による傷害は、被爆直後だけではなく~」と、ガンなどの病気のことは書いてあるが、心の問題には触れないのか。PTSDのことも一言触れておくべきではないか。2008年から2年間、広島市がPTSDの調査を行い、他の自然災害と同じように数パーセントのPTSDが認められた。PTSD、心の傷があったことに一言でも触れておくと、そのあと今でも黒い雨の被害が認められていない地域の人の不安に対する支援や、後障害の差別や偏見などの事象につながるところである。
 
今中委員長
それは個別解説ではなく項目解説で触れるのか。
 
大澤委員
そうである。8時15分についてはコーナー解説で一言入れた方が良いのではないか。
 
今中委員長
字数は多くないので、皆さんが了解であれば入れて良い。

大澤委員
個別解説があり、その要約や大切なことが項目解説で、それを一言で表したのが項目タイトル、その全体が項目解説、それをわかりやすく書くということである。中学生にわかりやすくすると、12歳くらいのレベルに合わせることになる。13~14歳になると12歳とはレベルが違ってくる。英語にも訳しやすく5W1Hがきちんとしており、年代の順番に書かれていることが大切だと思う。
P5「戦時下の広島のまちと暮らし」は、「戦時下の広島」イコール「日本」である。「~太平洋戦争に踏み切りました。」と歴史が書いてあるが、この部分は(広島だけの出来事としてではなく)、「日本」のこととしてまとめられないか。そうすれば色々な「広島のまちと暮らし」については、先程委員が言われたように構成できるのではないか。
P6「広島の歩み」の年代だけを拾えば1949年、現在も入ってくるが、1957年~現代となっている。
項目解説の「被爆直後の混乱、復興のはじまり」では年代は出されていない。
「平和記念都市建設法と復興事業」は1946年、1949年、「~整備されました」は、この3月に整備が終わるので、このへんは現在としてまとめた方がいいかと思う。
「被爆援護施策の成立と拡充」は、1952年、1957年~1995年、「~求めています」が現在で、そういった筋道で読めば良い。
P7「被爆体験の継承・伝承」では原爆ドームだけでなく、被爆建造物にも触れるかもしれないが、それは個別解説で触れれば良いと思う。
 
今中委員長
じっくり読み込んだ上でのご指摘である。コーナー解説しか読まない来館者もいるが、コーナー解説→項目解説→個別解説を読んでくれることを前提に進めている。若干のだぶりや、抜けている部分もあるが、それは個別解説にゆだねていく。項目解説は原則200字だが、ほとんどがオーバーしている。さらに30~40字増やすと一杯になってしまう。譲れる部分は個別解説に譲りたい。
議論の過程のデータ的な資料を残した方が良いというご意見があったが、その可能性について事務局と検討していく。執筆会議の詳細な議事録を残しており、それをデータ的なものの代用にするか、あるいは出典資料をピックアップするかである。これは別途検討となる。
 
小溝委員 
P7「被爆体験の継承・伝承」は、248字よりもっと追加して良いと思う。
日本国内の視野しか入っていない。冷戦後20年が経って、なお1万7千発の核があり、核拡散の危険性もある現在、被爆体験は過去の話ではなくこれからの世界のすべての人々にとってまさに重要な体験である。現在も核兵器の危機は存在している。それを世界の人たちにきちんと伝えていく必要性がある。短くても良いので項目解説にそういう要素を入れないと、海外から人が来ているのに日本のことだけになっている印象を受ける。

今中委員長
コーナー解説ではなく、項目解説に入れるのか。

小溝委員
コーナー解説では、一般的な表現ではあるが世界を含めた視点も読み取れる文章になっている。項目解説「被爆体験の継承・伝承」は、より具体的な内容であるが、日本国内だけになっている。世界に視野を広げた文章にしていく必要がある。 

宇吹委員
P2「日本への投下」で、原爆投下の理由は対ソ戦略説と、「国内向けに~」という原爆開発説の2つを取り上げている。資料館の解説は教科書など教育の場で大きな意味を持つ。市としてどう考えているか、こういう出し方をすると問われる。投下の意図からいえば、人命救助説と対ソ戦略説が一般的に言われてきたように思う。それ以外に、最近では人種差別説を強調する学者もいる。「膨大な経費を使ったことを国内に説明する」という説は1990年代から指摘されていた。投下には様々な要素があるということでの例であり、資料館としてどう考えるかを検討して頂きたい。
 
宇吹委員
P4のコーナータイトルは「核の時代から核廃絶へ向けて」だが、項目タイトルは「核軍縮に向けた世界の動き」で、急にトーンが下がっているが良いのか。広島市は核軍縮が最終的なゴールか、あるいは当面の課題として掲げているのかである。解説をどのように書くのか。
オバマ大統領に触れているが、海外の政治家の名前をここで挙げる必要があるのか。政治状況が変わってプラハ演説が歴史的に広島に大きな影響を与える、あるいは核廃絶への道程で大きな影響を与えるものとして評価されるようになるだろうか。
被爆の書き方は、「被爆」「被曝」をどう区別するか、資料館の見識を持つ必要がある。私の考えは、広島・長崎の原爆による核使用の場合は「爆」にする。入市被爆はどちらの字を使うか。人によって意見が異なる。
 
今中委員長
オバマ大統領については削除した方が良いというご意見か。

宇吹委員
特殊な例を取り上げている。広島でどういう言い方をするかである。

水本委員
今のご意見について強い反対・賛成はないが、核軍縮に向けた世界の動きを解説するコーナーである。ここ20~30年の世界の文脈から見れば、オバマ演説には触れるべきと思う。項目タイトルを、広島のスピリットが表れたものにするか、それとも世界の動きを解説するものと捉えるかである。執筆委員のサジェスチョンに沿って書かれていると思う。
アメリカとロシアが削減条約を結んだ、具体的で個別の外交上の動きの背景にはオバマ大統領の意図も入っている。米ロの削減条約が広島の意志を代弁しているかというと、そうではない。どこまでを広島のこととするか、捉え方による。宇吹委員のご指摘をもとに再度検討してみることで良いのではないか。

水本委員
核軍縮の専門家から見て、世界の核軍縮における動きとしてオバマ大統領に触れた、という経緯だと思う。そこに広島の視点を色濃く反映させるべきか検討してはどうか。

今中委員長
「~追求することを明確に表明しました」という表記は、核軍縮の動きにいかにもインパクトを与えたと印象づける。核保有国のアメリカが削減を表明したのは有意義であるという観点もあるかと思う。担当委員の見解を再度聞かせて頂きたい。
 
小溝委員
世界の動きから見た時に、NPTがあり、キューバ危機後のトラテロルコ条約は、核兵器を保有しない国のイニシアチブによる核削減への動きである。実際に行われたことからいえば、その価値は大きいのではないか。どちらを入れた方が良いかどうか、検討課題である。
 
石丸委員
P6「平和記念都市建設法と復興事業」は字数が多いが、それを減らしてでも入れて欲しいのは、この法律によって広島が平和都市建設に不断の努力をしなければいけないという条項である。未完の平和都市であるという意味合いを何らか盛り込みたい。「復興事業を行った」というのは良いが、法律によって義務づけられていることがある。何をすれば良いかは簡単にはいかないが。そこのあたりをつないでいけないか。
 
小溝委員
今のご意見に賛成である。もう原爆を忘れろという人もいるが、それでは根なし草であり、創造的な未来は作れない。被爆の実態を踏まえた上でどのように建設的に、環境、人間、共同体の絆等を含めまちづくりなどを行っていくか、再建にとって重要なことだと思う。その要素は入れるべきである。
 
水本委員
石丸委員が言われた、反論・異論を想定することに賛同する。この解説文は事務局がたたき台を作り、各担当委員とのやりとりを行いながら進めている。すべての記述はデータに基づいている。どういう資料に基づいたか、バックデータのまとめは教材にもなり得る。この場(検討会議)でのミッションではないだろうが、資料館として努力して頂きたい。
 
大井委員
今日は解説文についての検討であるが、全体の計画についても少し話しておきたい。コーナー解説、項目解説の字数制限について話が出ている。設計面について聞きたいが、P2にあるように赤と青で解説の場所が示され、予定しているすべての映像、写真、パネルをレイアウトするとほぼこの図になるのか。配置はこれでぎりぎりで、その中に文字を書き込んでいく。
P5の、上からの吊り下げ型のゾーンサインもほぼこの大きさであるか。本日は説明用に赤・青の線でわかりやすく囲っているが、実際には来館者が入ったとたんにコーナーや項目を知覚・感知できるよう設計しなければならない。当初の展示コンセプトとして、情報にいくつかの層を作ることがあった。来館者のいろいろな滞在時間に合わせて見られるようにし、ある人はコーナー解説程度を読み、ある人は項目解説、さらに個別解説まで読む人がいる。
またそれぞれのコーナーにメディアテーブルがあり、そこにも文章が出てくる。そこのコントロールをうまく設計しなければならない。文章に関してはベースになるものを作ったので、個別解説やメディアテーブルの内容との調整がまだこれから出る。大枠については今回であるが、その後の調整が今後可能なのか。
 
丹青社
その通りである。事務局からご説明頂いたが、今後、個別解説でより具体的な説明が出てくると、項目解説あるいはコーナー解説に戻って議論が重ねられるだろう。  字数はスペース的な制約から割り出したものではない。まずコーナー解説で全体像がわかり、項目解説で重要なポイントがわかる、という理解度の面からみると、たくさん文字を書けば読んでもらえる訳ではなく、適切な文字量がある。文章が多いと拒絶反応が出て、せっかく伝えたいことも読んでもらえない。そういう面で割り出した字数である。現在のパネルサイズに入らないために字数制限を行っているのではない。300字以下であればパネルには入る。これまでの経験や他館事例を含めて、字数が増えると読んでもらえない。さらに、英訳を行うと字数がかなり増える。現在の字数をベースにご検討頂き、個別解説を含めて文章の精度を上げていく、推敲を重ねることが続いていくだろう。字数制限は物理的な面からではなく、展示で読んでもらえる字数としている。

大井委員
情報に階層を設け、来館者の滞在時間あるいは興味の持ち方で変わっていく、という展示コンセプトは踏襲されていると思うが、デザイン上でも崩さないで欲しい。
重要な文章も入れてまとめられており、それを最大限に活かす方法が必要である。

丹青社
次のステップとなるが、制作段階で請け負った業者が文字の大きさや表現が適切で読みやすいか等も確認しながら進めるべきと考える。
 
大井委員
本館からのつながり、展示の最後となる2階の内容、下階の企画展示へのつながりがある。先程出たご意見の通り、復興は終わったのではなく継続中で、永遠に続く話である。そういう全体としての見せ方をしていく。ディテールにこだわると、全体の見え方の意図から外れてくる。特にここでは注意していく必要がある。

小溝委員
大井委員の全体像の話と関連するが、案内の経験で感じていることがある。建物疎開で亡くなった方の服が展示されているが字が小さすぎて解説が読めない。それだけではさっと通り過ぎてしまう人にも、解説を説明するととてもインパクトがある。本日の主題ではないかもしれないが、解説は簡潔で良いが、少なくとも見えるようにすべきだ。最終的に各論に入る前に、小さすぎて解説が見えない、ということは避けて頂きたい。
 
今中委員長
実際の大きさのサンプルを提示してもらうことも必要である。

宇吹委員
コーナー7「核軍縮に向けた世界の動き」で、コーナー解説も項目タイトルでも国連について全く触れていないが、それで良いのか。広島市では1970年代までは世界連邦主義、それ以降は当面の課題として国連主義を掲げていたと思う。そこはどうなのか。国連に関してはコーナー10「平和な世界をつくる」の箇所では国連NGOとの関係があり、広島市はその影響を受けて変わってきたように思う。NGOレベルのことはコーナー10で取り上げ、国連レベルはコーナー7で取り上げるという棲み分けができれば、執筆の方でも整理がつけられる。項目の細部をどうするかの調整が必要である。
 
神谷委員
先程、石丸委員から復興の扱いが軽いというご意見があった。復興のデータを見る限りでは、やはり軽い印象を受ける。
広島の原爆により都市も破壊され、社会もコミュニティも破壊され、人間の生活そのものが破壊された。そういう中からの復興のプロセスである。それがわかる表現が良い。まず、極めて大混乱が起きた、大破壊があったことが前提で、そこから一つ一つが復興していった。そのプロセスがわかるように資料を提示した方が良い。
放射線の影響の箇所で、PTSDについて記載するようご意見があった。放射線に伴う心の影響、あるいはPTSDは深刻である。肉体の障害と同じように、最初のところで伝えた方が良い。
 
今中委員長
個別の問題点についてたくさんのご指摘を頂いた。修正すべき点、加筆すべき点、字数の面で項目解説ではなく個別解説に入れざるを得ないもの、個別解説に譲っても良いものがあった。本日の意見を踏まえて事務局に検討して頂きたい。明らかに文章を削除する箇所については担当委員にフィードバックする。
当検討会議に決定権はあるが、各担当委員が自信を持って執筆しており、納得して頂く必要がある。それ以外の箇所は、本日のご意見を組み入れて事務局で文案を作成し、次回にご承認頂きたいと考える。
 
今中委員長
被爆再現人形について先般から色々な意見が出されている。市長も公の場でこれについて見解を述べている。事務局から説明をお願いする。
 
【事務局】
被爆再現人形について事務局より報告

今中委員長
ネット時代であり、人形の撤去への反論について、事務局から報告があった数字は事実である。検討会議で長らく検討し、熟慮した上でジオラマは撤去する方向となった。
個人の受け止め方としては、被爆者がジオラマについて「原爆の悲惨さは、あんなものじゃない。あんな人形で被爆の悲惨さは表現されない。だからもっともっと事実関係で知らしめよ。」ということが会議で決め手になったような気がしている。従って市長の答弁もそのような経過をふまえたものだと思う。
仮にジオラマを復元することになった場合、復元を止めろという意見も相当出てくる可能性がある。1万人という数が多いか少ないかは判断できないが、検討会議で審議を行い、ジオラマよりも勝る伝え方をしていくことが基本にある。単に「ジオラマを撤去するのはおかしい」という反論があるとすれば、きちんとPRをしていかなければいけない。完成まで4年あり、色々な意見が出るだろう。折節に諮っていきたい。委員長として今のところは結論を覆す必要はないと考える。

静間委員
事務局は説明が大変と思うが、ジオラマを否定するのではなく、残しておいて企画展示などで活かせる場合は使ってはどうか。そういう残し方もあると思う。私も、本館に残すのは無理があると思う。今後も使うものとして保存してはどうか。
 
今中委員長
常設でないという意味か。

静間委員
そうである。

大井委員
資料的な残し方をするか。撤去した後にどうするかである。資料館としてどう考えるか。過去にこういう展示があった、という資料として保存するのはあると思う。
 
静間委員
資料館は、常設展示以外にも多数の資料がある。それらの資料とうまく合う場合にはジオラマを使っていってはどうか。
 
大井委員
展示手法として長い間使用していたので、そういう使い方もあるかもしれない。
 
石丸委員
資料館の歴史を探せるコーナーもあって良い。評価は色々あるが展示があったのは事実で、資料館が辿ってきた足跡をバーチャルで見せて、見たい人が見られるようにするなど。資料館が辿ってきた歩みが、まさに歴史である。
 
今中委員長
常設にすると課題が生じてくる。歴史的な企画展などでの展開か。

石丸委員
資料館の歴史を紹介するコーナーをどこかに設けられないか。
 
大井委員長
常設のスペースは取れないだろう。

石丸委員
(本館)ギャラリーなど、丹下健三の展示なども含めてできないか。

大井委員
資料として保存するということであろう。どう見せるかは色々な企画の内容によって、意味があるものになるだろう。
 
小溝委員
色々な人と話をすると、特に外国人と話をする中で『ニューヨーカー』に掲載された「ヒロシマ」ですらフィクションだと思っている人がいる。平和運動に熱心な人でもそうである。(井伏鱒二の)「『黒い雨』もフィクションだ」「『はだしのゲン』は漫画だ」となると、伝承という意味では、credibility(信ぴょう性)がない。恐らくこれから被爆者の方から直接、話を聞くことができなくなった時にrepercussion(影響)というか、例えばアメリカでは原爆被害は数千人という表現が使われることもある。12月末までの死亡者14万人はあのような状況の中で推計ということになっている。今後、広島・長崎の被害を矮小化する動きが出てくることも覚悟しないといけない。
そうすると、基本的には事実で語ること。その中で記録映像資料は非常に重要である。それから残された物も。それを重点に置く。そしてまだアメリカにあり、日本に返っていない資料もおそらくあるに違いない。最重点はそこに置くことを前提とした上で、例えば、爆心から1kmのところで逃げた人と2㎞あたりで逃げた人の姿を聞くと、全然違う姿である。そういう、現存の遺品等で伝えきれない生々しい惨状を伝えるため、どのような補助手段を用いるかの話になってくる。これは今後重要な課題になる。すさまじい内容にすべきという訳ではないが、どうやって正確に伝えるかが大事になる。
年齢層によっても、本当に研究したい人はもっと深く知ることができるように、14歳未満の子どもについては色々なことも含めて考える必要がある。
ジオラマは当時のそのような工夫だが、あんなものではなかった、という批判が当初からあったと聞く。あれ以上に当時の惨状を実感できるよう、正確に再現するようなものをどう残していくか、工夫が大事である。そこが明確に示されていないので、ジオラマを残せという話になっている。

今中委員長
昨年、長崎の資料館も見学した。私の印象だが、長崎の方がよりインパクトのある写真を多数展示していた。言葉は適切ではないが、迫力のある写真を見せている。広島も、そういう原点に戻った方が良いのではないかという印象を受ける。

静間委員
宇吹委員が言われた「被爆」の漢字について、統一したものはあるか。

神谷委員
原医研では原爆の場合は、爆弾の「被爆」である。国の資料では一般的には「被ばく」とひらがな表記である。論文では一般的には「被曝」である。それは時間が経過した後の影響も含めてである。
 
静間委員
資料館独自で決めるのではなく、どこか(の基準)に合わせてはどうか。

今中委員長
資料館としては、「爆」「と「曝」をこれまで使い分けている。

事務局
そうである。
 
宇吹委員
前回のリニューアル時には原医研、翻訳など、それぞれ見解が異なり、最終的には責任者が決めた経緯があった。HICAREなど広島の公的な団体が同じように使っていれば問題ないと思う。
 
水本委員
使い方の一定のガイドラインに乗っ取って使っていると思う。それをいつでも明示できるものがあれば。各委員が、読んだ来館者に示せる状態にしておけば良い。
 
石丸委員
どういう配慮をしたか、新聞等の注記ではゴシック体で書いてあったりする。「こういう場合はこうしている」「今回はこれでやっている」という程度は、付け加えて良いのではないか。パネルの文字数外とする。「広島ではこれまでこう使っていたが、福島問題が起きてから最近ではこうなった」等。
 
今中委員長
我々は使い分けについて理解しているが、一般の来館者の理解が及ばないのではないか。 

石丸委員
むしろそういうものが印象深く残るのではないか。
 
今中委員長
注記についてご検討して頂く。
 
大澤委員
子どもだからわかりやすくとか、子どもにわかるようにというのはかえって良くない。子どもと接していると、本物をわかるのはむしろ子どもである。軽度の知的障害の人は12歳のレベルである。そのくらいの子どもたちが一番本質をつかんで、音楽でも、演劇でも良いものは良いとわかる。我々が本物でいこうと決めて、そこで伝える内容は、本当は子どもが一番理解できると思う。子どもや中学生にわかりやすくというのはそうなのであるが、本物でいくのが一番である。そこをおさえておきたい。
 
今中委員長
大人でも専門用語を乱発するとわからない。そのへんは注意が必要である。

今中委員長
次回の執筆会議は、導入展示における平和記念資料館からのメッセージについて検討する。
短い文章だが、こうすべきだというご意見があれば事務局までご連絡頂きたい。

【事務局】
今後のスケジュールを説明。

《閉会》