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3-2-7-4「禎ちゃんのために何かしないと」

1955年(昭和30年)11月12日
広島公会堂前 川野登美子提供
「原爆の子の像」建立のためにビラ配りに参加した同級生たち。
後列左端は像の建立を提案した河本一郎さん。
禎子さんの死にショックを受けた小学校の同級生たちは、
禎子さんのためにお墓か記念碑のようなものを建てたいと考えました。
その時、禎子さんだけでなく
原爆で亡くなったすべての子どもの霊を
なぐさめるための像を造らないかと提案され、
「原爆の子の像」建立運動が始まりました。
「原爆の像」建立を呼びかけたビラ
山本清司寄贈
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本館 被爆の実相 3 被爆者
3-2-7 一人の被爆少女の死内の資料
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