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3-2-7-3禎子さんの死

禎子さんが折った鶴
梅田頼子寄贈

1955年(昭和30年)8月初旬、入院中に「折り鶴を千羽折ると願い事が叶う」という言い伝えを知った禎子さんは、薬の包み紙など身の回りにある紙で鶴を折り始めました。始めてひと月足らずで1,000羽を折り上げたと言われています。​

 

10月初旬、禎子さんは目に見えて衰弱していきました。

関節激痛が走り、食べ物も自分で食べられなくなりました。

10月25日早朝、容体急変

家族全員が見守る中、禎子さんはくなりました。

亡くなった直後の解剖検査で、

禎子さんは、ほぼ全身を白血病にされ、

入院中に見つかっていた皮膚がんだけでなく

甲状腺がんも発症していたことが分かりました。

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