おわりに

 原爆(げんばく)被害(ひがい)を受けた人たちへの支援(しえん)は、国内外を問わず、被爆(ひばく)惨状(さんじょう)(きょう)がくし、被爆者(ひばくしゃ)の苦しみを知ることになった人たちによって大きく広がった。それは、国を()え、1人の人間として善意(ぜんい)と深い愛に満ちていた。
 一方、援助(えんじょ)を受けた人たちは、資金(しきん)物資(ぶっし)援助(えんじょ)だけでなく、支援(しえん)した人たちとの()()いを通して、絶望(ぜつぼう)の中から生きる勇気と希望の光を見いだしていった。しかし、それは、被爆者(ひばくしゃ)をはじめ、市民が街を復興(ふっこう)させ、苦しい環境(かんきょう)であっても生きたいという力強い意志(いし)があったからこそできたことであった。
 被爆者(ひばくしゃ)は、援助(えんじょ)を受けた人と受けられなかった人との間のあつれきが生じたり、また援助(えんじょ)を受けたことによって特別視(とくべつし)されるなど、さまざまな問題を()()えなければならなかった。しかし、被爆者(ひばくしゃ)にとって核兵器廃絶(かくへいきはいぜつ)は共通の悲願である。
 世界にはいまだ、多くの核兵器(かくへいき)存在(そんざい)し、使用される危険性(きけんせい)が高まっているとさえ懸念(けねん)されている。核兵器廃絶(かくへいきはいぜつ)に向けて、一歩ずつ前進していくために、(わたし)たちが果たす役割(やくわり)は、今、ますます重要になっている。

 

図版一覧(敬称略)
1撮影/中田左都男 2、6撮影/岸田貢宜 提供/岸田哲平 3提供/英国図書館 4提供/米国議会図書館 5、13、14、33撮影/菊池俊吉 7撮影/川原四儀 8、9撮影/陸軍船舶司令部 寄贈/御園生圭輔 10提供/赤十字国際委員会公文書館 11寄贈/松永勝 12提供/ブノワ・ジュノー 15、16提供/吉川生美 17、30、31、35、38、43、48、52~57、61、62、67、70、74提供/中国新聞社 18、21、36、42所蔵/谷本チサ 19、20、37、41、44、46、47、59、60、63、64、68、69提供/谷本チサ 22提供/米国フレンド奉仕委員会 23所蔵/本川小学校 24提供/本川小学校 25、26提供/(財)ケア・インターナショナル ジャパン 27箱:所蔵/Mr.Edmund Reinhard and CARE 物資:所蔵/(財)ケア・インターナショナル ジャパン 28提供/中岡雅昭 29、49、50提供/広島市公文書館 32提供/広島市都市整備局都市整備調整課 34撮影/佐々木雄一郎 提供/塩浦雄悟 39、40寄贈/ドロシー・J・ブラックマン 51提供/ワシントン大学図書館特別資料担当 58所蔵/中山武子 65提供/マウント・サイナイ文書館 66提供/横山愛 71出典/「広島憩いの家 No.1」より 72、73所蔵/広島市文化スポーツ部文化担当
上記の写真提供者をはじめ、大川四郎、菊池徳子、葛原生子、笹森恵子、シュモーさんの「ヒロシマの家」を語りつぐ会、ドン・ヒグリー、ルサナ・ヒグリー、山岡美智子、山本勇三、横田亘生、渡辺寛、朝日新聞社、広島原爆障害対策協議会、ニューヨーカー、オレゴニアン、KCTS(敬称略、順不同)ほか多くの方々、機関のご協力をいただきました。