きかくてんをみよう
宮武甫撮影 (きず)つけられた人々-
混乱(こんらん)の中の広島赤十字病院
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やけどの手当を受ける少年
広島赤十字病院は、当時、陸軍病院であったが、外来では一般市民の治療(ちりょう)も行なっていた。医薬品の備蓄(びちく)があったが、あまりの多くの負傷者(ふしょうしゃ)にたちまちに使い果たしてしまった。写真の少年は、本館正面玄関(げんかん)前で外来(がいらい)治療(ちりょう)を受けている。

爆心地から約1,500m 千田町一丁目
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負傷者(ふしょうしゃ)治療(ちりょう)する医師(いし)看護婦(かんごふ)
治療(ちりょう)にあたる医師(いし)負傷(ふしょう)している。三角巾(さんかくきん)(うで)をつった姿(すがた)痛々(いたいた)しい。この治療(ちりょう)も本館正面の玄関先(げんかんさき)で行なわれている。
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病院に収容(しゅうよう)された人々 顔と手にやけどを負った女性(じょせい)と子ども 顔にやけどした女性(じょせい)
爆風(ばくふう)窓枠(まどわく)は飛ばされ()きさらしになった病室の(ゆか)布団(ふとん)()患者(かんじゃ)収容(しゅうよう)されている。 女性(じょせい)の衣類は熱線で焼かれたのであろうか。 屋外にいて正面から熱線を浴びたのであろう。ござの上に()かされ、水が入ったびんが置かれている。この女性(じょせい)は屋外に()かされているようである。
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屋外に横たわる負傷者(ふしょうしゃ)たち
収容(しゅうよう)しきれない患者(かんじゃ)は屋外の日陰(ひかげ)()かされて治療(ちりょう)を待った。
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負傷(ふしょう)した子ども
中央の子どもは頭部の負傷(ふしょう)の手当を受け、鉄板のようなものの上に()かされている。(おく)の子どもはまだ乳児(にゅうじ)であろうか。この写真も屋外で撮影(さつえい)されている。

  宮武甫・榮一写真展
―被爆直後のヒロシマを撮る

 ●はじめに
 ●宮武甫撮影-傷つけられた人々-
  ■ヒロシマに入る
  ■臨時救護所となった福屋百貨店
  ■負傷者を乗せたトラック
  ■住吉橋のたもとの臨時救護所跡と火葬場
  ■混乱の中の広島赤十字病院
  ■爆風の爪あと
  ■廃虚の中
 ●松本榮一撮影-破壊された街-
  ■爆心地とその周辺
  ■紙屋町・本通り付近
  ■基町付近
  ■幟町付近
  ■千田町・皆実町付近
  ■比治山・段原
 ●おわりに

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