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3-2-6N家の崩壊
Nさんは、働き者の漁師だった。
あの日……Nさんは、建物疎開作業に動員されて被爆。
全身に火傷を負った。
2年後、Nさんは徐々に回復し、時には漁に出られるようになった。
しかし、それも長くは続かなかった。
1951年(昭和26年)3月、
一家の生計を支えるため働き続けた妻が亡くなった。
子どもを殺して死のう……と決心したNさんは、
残ったお金で米を魚を買って子どもに食べさせ、
夜のふけるのを待って子どもの首に手をかけたが、
どうしても力が入らずとうとう朝を迎えた。
生きていくしかなかった。
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本館 被爆の実相 3 被爆者
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- 1 N家の崩壊
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