文字サイズ
S
M
L
背景色

3-2-1-1ストップウォッチ

岡田博子寄贈

佐伯()さん(当時33歳)は爆心地から790m離れた中国軍管区司令部で被爆しました。臨月の妻、多鶴子()さんに代わり、多鶴子さんの両親が翌日から入市し、力さんを捜しましたが、見つけることはできませんでした。数日後、力さんの同僚から力さんの帽子が送られ、この同僚によると力さんはほぼ即死だったということを知らされました。

8月6日は力さんの公休日でしたが、出産に備えて休みを振り替えて出勤したため犠牲となりました。力さんの死から4日後に娘の博子さんが生まれました。

ストップウォッチは疎開先の自宅に残されたもので、力さんが召集前に青年学校の教頭をしていた頃に使用していました。

多鶴子さんは、戦後家業のそば屋を営みながら6歳と4歳の息子、生まれたばかりの博子さんを育てました。被爆当時のことについて、ほとんど語ることはありませんでした。

本館 被爆の実相 3 被爆者

3-2-1 家族を失って内の資料