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3-2-4-1病室の吉川清さんと妻の生美さん

千田町一丁目 広島赤十字病院
吉川生美提供

吉川清さん(当時33歳)は、

爆心地から1,500メートル離れた自宅で被爆しました。

背中と両腕の皮膚は焼けただれ、垂れ下がりました。

その後、火傷のあとはケロイドとなり激しい痛みを伴いました。

 

寒さが加わってくると、ケロイドのところが、針で突きさすようにはげしく痛みはじめたりした。はげしい疼痛は、昼も夜もつづき、眠ることもできず、私はすっかり心の平静を失ってしまった。
手術は、ケロイドで硬直した両腕と、脱臼してしまった両手首から右手の指にかけて、皮膚移植を伴うものであった。外科病棟に移されて、手術ははじまったものの、移植された皮膚は黒く変色して死んでしまった。手術は、ことごとく失敗であった。

吉川清『「原爆一号」といわれて』筑摩書房より

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