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3-1-7-4ドイツ人神父 フーゴー・ラッサールさん

1965年(昭和40年)9月20日
中国新聞社提供

ドイツ人神父のフーゴー・ラッサールさん(当時47歳)は、
爆心地から1,230メートル離れた幟町のカトリック教会で被爆しました。
背中にガラス片が突き刺さり、左足に重傷を負いながら、
火災から逃れる泉邸(現在の縮景園)の河岸に避難しました。
次第に歩くことができなくなり、
救援に来た長束修練院のドイツ人神父たちによって
修練院まで運ばれました。
幟町の教会では、ラッサールさんの他、3人のドイツ人神父が被爆しました。
戦後ラッサールさんは日本に帰化し、原爆の犠牲者を悼み
世界平和を願う世界平和記念聖堂の建設に尽力しました。

 

リヤカーで被災者を運ぶ2人の外国人

リヤカーで被災者を運ぶ2人の外国人
1945年(昭和20年)8月6日正午ごろ 安佐郡祇園町付近
下村儀三作