ここから本文です。
3-1-7-1被爆死したアメリカ兵の認識票
アメリカ軍のジェームズ・M・ライアンさん(当時20歳)は、1945(昭和20)年7月28日、呉を空襲中に日本軍に撃墜されて捕虜になり、移送先の広島で被爆死しました。
この認識票は、ライアンさんを留置していた中国憲兵隊司令部の焼け跡で見つかり、アメリカ軍によって家族に届けられました。その後、家族から被爆アメリカ兵の調査をしていた森さんに託され、資料館に寄贈されました。
認識票には、ライアンさんの名前、ライアンさんのお母さんの名前、住所が刻まれています。
- この資料の位置
-
本館 被爆の実相 3 被爆者
3-1-7 故郷を離れた地で内の資料
常設展示/展示ゾーン・コーナー・項目一覧